穂高縦走

穂高縦走 三日目 ~5年間の集大成~

ロバの耳の追憶

  
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岩に張り付くように信州側をトラバースしていく。

ジャンダルムから下りて次のピークであるロバの耳を目指す。コブ尾根ノ頭から見たジャンダルムは傾いた台形の形をしていたが、ルートの奥穂側から見ると、若干尖っている。ジャンダルムの写真は奥穂高岳からのものが鉄板だが、見る方向によってはいろいろな形をしているんだということがわかるね。

ロバの耳へは信州側を巻いていく。直登ルートもあるそうだが、これはロッククライマーかその筋の人でないとかなり危険だそうだ。さすがに直登ルートなんてもってのほか。しかもこんなガスの中、危険極まりない。

ジャンダルムを振り返り、行く手をよくよく見ると、再度不気味なピークがガスの中に現れた。

  
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行き止まりか? と思ったら、下にルートがあった。壁のロープはここに上がるためのものだ。

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壁にはさっきとは逆の矢印で「ニシホ」。

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ジャンダルムは見る方向によってそれぞれ形が異なる。奥穂側からはちょっと尖ってるね。


ガスに浮かんだピークはロバの耳。ジャンダルムからすぐ近くだ。一旦コルにおり、ペンキマークに沿って行けばさほど難しいことはない。ロバの耳はジャンダルムに比べれば知名度は低いが、その名前は登山をしない人でも知るところとなった。2009年9月11日に岐阜県防災ヘリ「若鮎Ⅱ」が救助活動中に墜落し、乗員3名が死亡する事故が起こったのである。

  
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ガスに浮かぶロバの耳。三角形の尖ったシルエットだ。ジャンダルムで経験済みなので慣れた。

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まずは一旦下らなくてはならない。ここも注意して。

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ガスはなかなか晴れない。今日はもうこのままだろうか。

  
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ロバの耳が近づいてきた。頂上までは行けるのだろうか。

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岩伝いに足下の悪いルートを進んでいく。

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ジャンダルムは手前の尖った岩の向こう。ひょろ長いね。


山岳救助には多大な危険が伴う。事故は、遭難者を引き揚げる際のホバーリング時にヘリコプターのローターが(恐らくロバの耳の山肌)に接触し、バランスを崩して墜落したと見られている。ロバの耳手前のコルから飛騨側に谷が続いている。恐らくこの先に墜落したのだろう。

  
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ロバの耳手前のコルから。この先の谷に岐阜県の防災ヘリが墜落した。

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登山者を守って下さいと手を合わせる。

ここで手を合わせる。二度と事故が起きませんように、登山者を守って下さいと。ここは中部山岳国立公園内なので、勝手に遭難碑を設置することはできない。ここでは墜落の形跡は何もなく、事故が起こった事実だけが残ったのみだ。
(2010年12月に岐阜県消防学校内に慰霊碑が建立されました)

  
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見通しの悪いガスの中をペンキマークを追う。場所によっては「こんな所を行くのか?」と疑う箇所も。

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ロバの耳への登り。ルンゼ状の岩場を登っていく。

  

ロバの耳へはルンゼ状の岩を手と足を掛けながら登っていく。山頂は通らないが、10mくらい山頂に続く道が続いている。ルートを外れ、途中でザックをデポし、山頂に登る。どうしても確認したいものがあるからだ。
狭い山頂にはひっそりと遭難慰霊碑があった。慰霊碑には次のように記されている。

  イトセメテハルケキ
  ソラニチカケレバ
  ココニネムレヨ
  カツヒトノタマ

遭難したのは日大医学部の学生。昭和19年のことだ。ここでも手を合わせる。この下を行き交う登山者達を守ってくれるだろう。

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ちょっとルートを外れ、一旦ザックをデポしてロバの耳頂上へ。

  
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ロバの耳山頂はすぐそこ。狭い山頂で見たかったものとは。

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山頂にある遭難碑。日大医学部の方らしい。ここでも手を合わせる。

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ガスは切れない。慎重に元に戻る。次はロバの耳からの下りだ。


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