奥黒部周回

奥黒部周回一日目 ~雨と風の稜線~

雲中の薬師岳

  

重いザックを担いで薬師岳山荘を再出発。遂に今回4日間の山行の中で最高峰の薬師岳を目指す。相変わらず行く手はガスの中。しかもここからは遮るものは一切ないため、容赦なく谷側から小雨混じりの風が体を叩きつける。たまらずフードを被ると、フードの上に叩きつける雨音が大きくなっていく。

  

周辺の景色も全く単調だ。所々ハイマツがあるザレた踏み跡をひたすら登っていくのみ。こんな中でテンションを上げろと自分自身に言い聞かせてもね・・・。
アッちゃんの晴天の薬師岳のレポからすると、晴れていたらどんでもなく素晴らしい景色。まあ、これも登山だ。いつ何時も晴天とは限らない。

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ガスの中ザレた踏み跡を登っていく。周囲の視界はゼロ。

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右の谷から叩きつける風。写真を撮るのもためらってしまうよ。


  

しばらく単調な踏み跡を登っていくと、ザレ場から岩がゴツゴツとした様相に変わってきた。すると何か人工物が見えている。あ、あれが避難小屋だ。アッちゃんの写真にあったとおり、小さなシェルターだ。そしてその先には昭和38年に遭難した愛知大学学生の遭難碑。ケルンにある銘板には以下のように記されている。(原文のまま)

  
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ガスの中に避難小屋が見えてきた。ここは次薬師と呼ばれているところ。このようにガスが立ち込めるだけでもルートを見失いがちなのに、ましてや厳冬期では方向感覚も無くなってくるだろう。

昭和三十八年一月愛知大学学生十三名が薬師岳頂上をめざして登山中登頂を目前にして猛ふぶきに遭遇し薬師平の第三キャンプに引き返す途中この次薬師で東南稜方面に迷いこみ、ついにその若い生命を失なつた。
このケルンは愛知大学ならびに遭難学生遺族の協力により二度と遭難がくり返えされぬよう祈りと願いをこめて建てられたものである。
昭和三十九年十月
富山県 大山町 富山警察

  
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避難小屋というよりはやはりシェルターだ。何人が入れるだろう?

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愛大生遭難碑のケルン。ここで手を合わせる。

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自分の生まれる前に遭難事故があった。忘れてはならない教訓。


  

でもって避難小屋は過ぎた。山頂は? どうやら岩の間に踏み跡が続いている。ガスはどんどん濃くなるばかり。そりゃそうだ、太郎平小屋から薬師岳は全く見えなかったからね。踏み跡はほぼフラットに続いている。しかし視界が悪いため先がどうなっているのかわからず、本当にこちらでいいのか不安になってきた。ザックを下ろして地図を広げる。鈍足とはいえ、コースタイムはとっくに過ぎている。
するといいタイミングで反対方向から一人の登山者が歩いてきた。山頂を聞いてみると、すぐこの先らしい。これで一安心。またもや思いザックを担ぎ直し、ひたすらガスの中を進む。ようやく山頂らしきものが見えてきた。

  
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避難小屋からは緩やかな道。しかしこのガスの中、踏み跡を外さないように。

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本当にこちらでいいのか?

  
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反対からの登山者に教えてもらって一安心。

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ようやく山頂が見えてきた。あれが薬師岳山頂の祠か。


  
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最後は岩の上を登っていく。ここが薬師岳山頂、2,926.0m。晴れた週末には大勢の登山者で賑わう山頂も今は一人。聞こえるのは雨風の音だけだ。山頂の祠には薬師如来が祀られているという。旅の安全とみんなの健康を祈願して手を合わせる。
こんな天気なのでカールを見ることはできず。しかし槍や穂高から見たような雄大な山容を歩くだけで感じることができるなんて、やはり凄い山だ。

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薬師岳山頂。四日間の山行のうち、初日で最高峰だ。アッちゃんのように晴天の中を登りたかったが、これだけはどうしようもない。

  
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標高は2,926m。その大きな山容は登ってみなくちゃわからない。

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ここは立山同様、山岳信仰の山。薬師如来を祀った祠が登山者を見守る。

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歩いてきた道を振り返る。しかしガスが濃くてこれもダメ。

  
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祠のすぐ横にあった二等三角点。触ったり踏んづけたりしないように。

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ここは通過点。ルートは稜線に沿って更に続く。

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長居はすることもなく、山頂を後にする。しばらくは稜線歩きだ。


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