三森山 ~信仰の山と気持ちのいい山歩き~
里を見守る信仰の山
穏やかに過ごした年末年始休暇も今日が最後。明日から仕事だ。年末から年明けにかけて里山ばかり登っていたが、今日も里山。年末にす~さん、KUMAくんと東濃の屏風山に登ったのだが、低山とはいえ雰囲気はいい。思えば東濃一帯の山はあまり登ってはいない。標高はさほどないが魅力的な山ばかりだ。
今回は途中に神社のある岩村町の三森山に登る。地図をよくよく見ると近くに水晶山と呼ばれる山もある。調べてみると登山道は水晶山まで続いているようだ。岩村ダムに車を停めて出発、三森神社に立ち寄って三ツ森山へ。そのまま南へ尾根伝いに歩き、ぐるりと回るように水晶山へ。ちょっと引き返すと岩村ダムに下りるルートがあるので、ここから車のところまで戻る。ちょっとした周回コースだ。
岩村ダムのちょうど横のスペースに車を停める。もっと混んでるかと思ったが誰もいない。
岩村ダムまで車を走らせる。小さな駐車帯には一大の車もいない。山頂手前に三森神社があるので初詣で何人か訪れていると思ったが、寂しい限りだ。しかしここは日陰なので寒いったらありゃしない。やはり冷え性にとって冬の寒さはこたえる。
岩村ダムから舗装路をちょっと歩くと左手に立派な鳥居がある。ここが三ツ森山への登山口。ただ登山口であると同時に参拝道の始まりでもある。鳥居の前で一礼してしめ縄の下をくぐる。ここからが神の領域だってことだね。登山道は緩やか。寒いが頑張って登ろう。
岩村ダム。ちっちゃなダムだ。
ダムから狭い舗装路を歩きだす。
すぐに左手に立派な鳥居が見えてきた。
<三ツ森山について>
標高1,100米の頂上に立てば阿木・岩村・山岡の各方面まで一目に見下され天が澄み渡れば伊勢の海も見える 眺望絶山で頂上には三森神社・帝釈賛天が祭られている
昔からの里伝によれば阿木の血洗池で天神が子を産まれた時その袍衣(エナ)を絶たれた鎌をこの山に祭りその袍衣は恵那山に埋めたと言う 又道辺のアック所には三十三ヶ所にその昔に里人の肩と足と背中で持ち上げられた石仏が安置されている
人の深さ高さ文の重み心の巾と心の道に静かに想う巳が山にて(原文のまま)
鳥居の横に三ツ森山について書かれている。何が書かれいるかというと、左の<三森山について>を参照。
歴史のある山なんだね。
向こうにガードレールが見えるが、まさか自動車が通っていた?
そんな訳ないか・・・。
緩やかな登山道を登っていく。登山道の途中には所々仏像が祀られている。登山道はフラットで植林帯の中をジグザグに進む。仏様に出会う度に写真を撮って手を合わせる。この仏像が33ヶ所あるそうな。数えてはいないがよくよく見ると微笑んでいるお顔、お澄まししているお顔、眠そうな(?)お顔といろいろだ。なるほど、神社までの参拝道としても登山道としても楽しめるだろう。
ルートの脇には松の木も多い。立派なアカマツの前には「この老松は昔日の並木であったろうか」と看板が立っている。
岩村町の杭の横に二体の仏像。
フラットで歩きやすい登山道。
ここには一体の仏像。
小さな石で倒れないようにしているのかな?
たまに鳥の声が聞こえるだけの静かな山だ。
木の根の上に美味い具合に乗っかっている。
この仏像はちょっと古いかな? 苔生してる。
立派なアカマツ。参拝道の並木ということか。
しかし「アカマツ」と聞くとどうしても「松茸」が頭に浮かんでしまうのが嫌らしいところ。いやいや、松茸なんて最後に食べたのは何年前かも記憶にないよ。自分にはせいぜい松茸のお吸い物がお似合い。
たぶん松茸は自生してないんだろうな。でなきゃどこかの山みたいに秋は入山禁止になってしまうだろう。
高価な松茸を独り占め・・・人間の欲なんてこんなもんか。道の仏様たちが笑ってるよ。
この仏様は頬杖ついて眠そうだ。
まだまだ続く仏像を巡る旅。
下の鳥居から十一体目。
三森神社まであと500m。意外に早く神社に着きそう。急登がないので楽だ。
のんびりと年明けの里山を登っていく。地元の人が仏像を背負って登り、安置したことを思うとやはりそれぞれの仏様に出会う度に手を合わせる。そろそろ三森神社かな? と思っていたら山の中にまたまた立派な鳥居が現れた。
御水屋に到着。水は涸れているが参拝者はここで身を清めたのだろう。ここでも仏像が見守る。
神社まであと400m。それにしてもさっきから空はどんより。
この仏様は両手で何か抱えてる?
ちょっと路面も荒れてきただろうか。
七本松の看板。松並木十株が続くらしい。
ちょっと前かがみで合掌。
かなり苔生しているがお顔は穏やか。
随所に立っている境界見出標。
三森神社はここを左らしい。
お、鳥居が見えてきた。ここが三森神社か。