網掛山

網掛山 ~晩秋の古き道~

ヲシテ文字

  
網掛山

先週に引き続いて落ち葉の絨毯の上を登山道を登っていく。地図を見ると、ちょうど南尾根に沿って登山道が続いている。途中からジグザグに登っていくと、行く手に標識が現れた。どうやらかなり早く山頂に着いたようだ。何か記号のようなものが書かれてある木の標識から左へ登っていくと、阿智セブンサミットの看板が見えてきた。

網掛山

ジグザグを登り切ると指導標と記号の書かれた木の標識が立っている。山頂はここを左へ登っていく。

  
網掛山

網掛山山頂に到着。時間的にはかなり早かった。山頂は木々に囲まれてかなり狭い。足元には三角点があるほか、三角柱(?)の看板が立っている。
なんだろうと思って見てみると、先程見た同じ記号のようなものが書かれている。これはヲシテと言って、日本で古代に用いられていた文字らしい。

網掛山

網掛山山頂。木々に囲まれているので狭く、ここでご飯はちょっと無理っぽい。

  

そしてそれぞれ、網掛山、恵那山、阿智神社に関わることが説明文として書かれている。この山だけでなく、阿智一帯にはこのような神々にまつわる言い伝えがあるのだとわかる。先週の戦国時代から今回は古代日本といい、歴史を旅しているようだ。

網掛山

三等三角点。点名は「大谷」。

網掛山

セブンサミットの横に三角柱の看板。

  
網掛山

網掛山周辺には神社か多いのもわかる気がするね。

網掛山

こちらは神話にまつわる内容。

網掛山

古い日本の思想を大切にせよと伝えているのだろうか。


  

アミカケヤマ
標高一,一三二.七米
一九六六年の夏に大量のヲシテ文字による古文書が滋賀県で発見され解読された
それ迄一千数百年にもわたって日本の歴史は古事記や日本書紀が原点であったが原文どうしの対比比較の結果ヲシテ文字文献が古事記、日本書紀が編纂された時の原初であることが判明した
歴史だけに留まらず日本独自の言霊(ヲシテ文字や数などの一字一字に意味がある)の文化が根底に存在し漢字文字では表現できない奥深く、古事記、日本書紀では真相を知ることができないがヲシテ文献では、日本の国(トコヨクニ)の建国は六〇〇〇年程前、人類のルーツ、長寿、健康法、宇宙観、生死観(生前、死後、再生)幸福、教育など広範囲にわたって解明されつつある
この古文書(ヲシテ文献)によると、この地には重大な歴史があった事が明らかになってきた(阿智のルーツ)
この山は現在網掛山と呼ばれている
縄文時代は祈座(ノリクラ)であった参道を東に進むと展望台があり、下山していくと頭権現(神戸とは神と民との境)さらに下ると伏谷神社(民が神に伏して祈った所)付近の部落に小野川(川は後に付けた)、中野、大野の三部落があり後々までも登板で祭事(まつりとは神と人の間を釣り合わせること)に参加した
この三部落のち名を智里と言っている
智とは神と共にある者、かしこい人が住んでいる里からきている(言霊よりの引用)この地のどこを発掘しても遺跡、土器などが出土するのはその裏付であり、東山道もこの時代から国司も利用している


  

エナサン
標高二,一八九.八米
オモイカネ(本命アチヒコ)は八代目アマテル神(天照大神)の妹ワカヒメを妻となし、政(まつりごと)の中心的人物としてアマテル神を補佐し身代わりとして祭主にも任命され左の臣を務める一方では当時畑で耕作していた稲(陸稲)に比較して四倍も多く収穫できる水耕稲作であるが天候に左右される為に精密な暦が必要となり閏月を設けた太陽暦を新しく作成した天文学者でもあった
農耕と海運、水運、相方に融合利する高度な暦により国は豊かに成り、豊かさと生活の安定が得られると人工が急増して新しい時代の幕開けに寄与するなど、又、国をブロックに分けブロックごとに勅命執政官(国司)カニクミ(準国司)マスヒトを配置、政を統率その国司の指導や後には自らも国司を務める
オシホミミ(九代目アマテル神)の養育にも務めるなど、地の高天原随一の知恵者であった
晩年にアマテル神の健康を祈願してアマテル神(天照大神)の臍の緒を恵那山(臍の緒の事をエナと言う)に祭り守護する為に阿智の神として子供ウハハル(表春)と共に着任した(後にウハハルは戸隠へ)
その祈願の効があったのか?健康のためにチヨミ草や桑の新芽、根などを食していたともあるがアマテル神は玄孫(孫の孫)の代迄も長寿し三重県の志摩にて崩御


  

アチジンジャ
昼神標高五八五.八米
阿智の地名の由来はアチヒコから昼神の地名の由来はアマテル神明るい神、昼の神から来ている
阿智神社には前宮と奥宮があり日本の文化国家の創設に多大な貢献した地の高天原随一の知恵者【思兼の命】が祀られている
ぜひ一度ご参拝を
縄文時代に思いをはせ、心静かに手を合わす 祈るとは神の意に乗り合わせることで自分の幸せではなく人の幸せを祈ることが廻り廻って自分のところへ戻ってくる 自分の事はお詫びと感謝以外は「ガ」と成り届かない ご参考に
縄文時代より学ぶ
日本は建国当初から立憲君主国家であり縄文時代の前期の頃も現在で言う憲法として国家建国の基本理念があり高度な文明国をつくりだしていた その基本理念は、国を政る者の心構えとして「アメガシタ和してめぐるヒツキこそ晴れて明るきタミのタラチネ(両親)」とアマテル神は詠んでいる
国を政る者は人々の幸せを願って政事を行い常に人々に恵を与え人々は恩義を感じ為政者として尊敬して立てる
こうしてできてきた日本の国であり、現在でも一人ひとりの心底には人を思いやる心の血が流れているが物質の豊かさに消されかけている
今の時代にこの古文書(ヲシテ文献)が発見された事は行きすぎた物質文明にブレーキをかけ、人としての原点に帰らなければならない時を迎えている
平成二十四年五月吉日


  
網掛山

ゆっくりするわけでもなく、眺望もないのでそのまま下山することに。

網掛山

静かな山頂を離れる。

網掛山

先程の記号は「アミカケヤマ」と読むのだった。


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