アルマヤ天

忘れ去られた地

  
  

雪が融けないように敷き詰められたウッドチップの上を歩く。振り返ると日和田富士の名前にふさわしい山容を見せつけているようだ。乗鞍岳を見ながら下りていくとリフトの終点駅に着いた。ワイヤーが動いているのはシーズンに向けての試運転だろう。

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    駐車場へ向かってゲレンデを歩く。あそこから下ってきたんだな。

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    乗鞍にも登ってみたいが、バスで山頂まで容易に行けるのがどうも・・・

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    緩斜面のゲレンデ。久々にボードを出してみようかな。

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    多分滑り方忘れているだろう。ウッドチップの敷き詰められた上を進む。

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    「日和田富士」にふさわしい山容だ。

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    ようやく下のリフト駅まで降りてきた。ワイヤーが動いてるぞ。


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    センターハウスに到着。今日はよく歩いたな。

  • センターハウスが見えてきた。ウッドチップの上をペアで走っている。そういえばここは高地トレーニングの場でもあったな。

    何とか明るいうちに帰ってきたが、改めて御嶽の雄大さと優しさを感じた一日だった。アルマヤ天はある意味忘れられた地と言える。アルマヤの天狗様も久々の訪問者に喜んでくれたのだろうか。あの二羽の烏は天狗様の使者で遭難した二人のような気がしてならない。無事に帰路に着くまで見送ってくれていたのだろう。

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    御嶽をバックにサムアップ。

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    時間は夕方4時半。明るいうちに戻ることができたよ。

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    いつもの如くちゃんと待っていてくれたインプレッサ。良き相棒だ。


アルマヤ天写真

【遭難碑についてその後調べてみた】

アルマヤ天の岩場に埋め込まれていた遭難碑について、改めて写真を確認してみると、東海地区の某社の有志が設置したようだ。ダメ元でその会社に電話で問い合わせてみると・・・調べてみるから後日連絡してほしいとのこと。

でもって後日再度電話してみると、『当時社員を中心とした山登りの同好会なるものがあったが、昭和37年11月に同好会の2名が遭難して亡くなった。翌年8月に有志が遭難碑を設置したようだが、遭難した2名については50年近く昔のことなのでどのような人物なのかわからない。』

ちなみに遭難碑には、1名が11月4日に、もう1名は5日に吹雪で亡くなっていると書かれている。その横には「ここに永眠す」と書かれているので、ほぼこの地で遭難にしたのは間違いないようだ。

それにしても古いことなので今となってはわからないのも仕方ない。しかし昭和37年は1962年だから、来年で50年となる。来年は水と花でも持って慰霊登山でも計画しようか。ちゃんと実家の墓参りをしてからね。


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