木曽駒ヶ岳

100年目の聖職の碑

  
  

まだまだごくほんの一部にすぎないけど南へ、そしてまたあるときは北に出向いた。そしてまた南に・・・いや北にしようか? だが待てよ。中央があった! それに未踏であった! というわけで今回は中央アルプスである「木曽駒ケ岳」に白羽の矢を立てました。

◆木曽駒ケ岳 標高2956m 百名山◆

【日時】
平成23年9月23日
【天候】
晴れ午後曇り
【コースタイム】
桂小場 ←→ 木曽駒ケ岳頂上(聖職の碑コース)
6:05 桂小場(駐車場)登山口 → 8:04 大樽小屋 → 10:16 将棋頭山 → 12:25 木曽駒ケ岳頂上着/13:05発 → 14:05 西駒山荘 → 15:40 大樽小屋 → 16:50 桂小場(駐車場)登山口
【目標】
日没前に下山する
  • 木曽駒ケ岳写真

    6:05登山口付近にて

  • 木曽駒ケ岳写真

    台風一過・・・ あらため自然は生きものであると思う。

  • ジクザグになった登山道を延々と歩く。比較的歩きやすもの前日までの台風の影響だろう。一部路肩が不安定な個所もあり踏み抜きしないよう注意が必要であった。

    登山口から約2時間。大樽小屋に到着。このすぐ近くに標高2000mの表示あり。木曽駒ケ岳山頂2956m。山頂までの標高がまだ956mもあると考えるよりも、あとこれだけしかないと捉える方が気持ち的に楽なわけで一言の響きで感じ方がこんなに変わるだなんてと、ことばも生きものである気分になる。


延々と歩き進めていくと胸突八丁という標識を眼にした。心したもの胸を突くほどの印象はなかったけど、そのくらい気を引き締めることも大事だろう。そういえば鎌ガ岳(木村さんの俺山2010年10月23日参照)にも同じネーミングの個所があったことを思い出し思わず笑った。

その後、津島神社と書かれた標識をも眼にする。神社らしきものは特になかったが、ヒカリゴケが自生しているとのこと。ヒカリゴケは岩の間に手のひらにも満たない非常に狭い範囲で自生していた。もともとこれだけであったのか否かは定かでない。ところで同じ名前の神社が愛知県津島市にもあったことを思い出した。鳥居の脇で売っている揚菓子はまだあるだろうか。あれ、めっちゃ固くて最初から噛める人、居ないだろうなぁ(笑)。

しばらく歩くと胸突きの頭いわゆる稜線手前となり、さらにすすむことで稜線上にでた。ここからが本番のはじまり。ながいウォーミングアップだった。花崗岩の入り混じる稜線を歩きながら、徐々にはい松が茂っていく中をすすんだ。はい松が踏み跡を覆い隠している状態にあり、足にはい松がからみ歩きずらい。時には枝が足を突くため痛い。はい松に覆われた稜線ってことは森林限界というわけか。いつの間にか雲海が見えるところまできていた。

  • 木曽駒ケ岳写真

    あ~!! 隠れてしもぅた。南アの山脈が見えていたのだが・・・。甲斐駒? そういえばこの夏甲斐駒に行きそびれた。

  • 木曽駒ケ岳写真

    9:38行者岩 向こうの遠いところにある雰囲気がした。時間があれば、ここにも登ってみたいと思った。今回は眺めるだけ。

  • 木曽駒ケ岳写真

    10:16将棋頭山山頂にて Bigなケルン (笑)


このあと聖職の碑に辿り着いたわけで、そういえば樹林帯の途中にも落雷の碑があった。いずれの碑も敢えて画像は残さない。なぜならココロのなかにその風景を写し撮ったから。合掌。

木曽駒ケ岳写真


宝剣岳と中岳と木曽駒ケ岳山頂(間違いない?) あたらな野望・・・宝剣岳の穂先に登る(笑)

  • 木曽駒ケ岳写真

    10:34天水岩 向こう側に御岳山が見える予定だったけど(苦笑)。もう少し後ろに下がって撮れば、岩全体が撮れたかな(苦笑)。水が枯れないわりには、苔むしている状態でもない。いつからここに水があったのだろう?

  • 木曽駒ケ岳写真

    花崗岩の風景を見ながら燕岳を思い出した。時間と予算と登山技術があれば、冬の燕岳に行ってみたいものだ!

  • 木曽駒ケ岳写真

    しばし急登を強いられたけど、前歩く人らが目標となり励みにもなる。へろへろだわ。心肺機能向上させたい。たしかここの稜線は馬ノ背 11:12

  • 木曽駒ケ岳写真
  • 濃ガ池 江戸時代雨乞いのために集落の娘お濃が身を投げたという説があるとか。

    今回は稜線から眺めた。

    信濃毎日新聞社刊 信州美しき百山という本は写真が綺麗で何度も繰り返して図書館で借りている。この池から見上げる紅葉時の木曽駒ケ岳の写真が載っており色彩鮮やかな山の表情は、人工では作れないと思う。

  • 木曽駒ケ岳写真
  • 中岳を写したつもりだけど・・・

    それよりもテン場が気になって仕方がなかった(笑)

    道中、ロープウェーに乗ってやってきたというソロの女性が道を尋ねてきた。情けないことに、尋ねられたことに対し回答してあげられることができず・・・ 把握が出来ていないまま山歩きをしている自分の姿を知る機会となった。

木曽駒ケ岳写真


将棋頭山から約2時間。頂上着 12:25。

惜しくも頂上についたころガスがかかりはじめ視界が狭くなった。人の多さに閉口したが山頂が広いぶん人は分散。道中ソロの女性の方とすれ違ったもの山頂にソロの女性が居なかったことが残念。なぜなら仲間に思えるから。

  • 木曽駒ケ岳写真
  • 山頂で30分ほど休憩をして下山した。帰路野田場で水を汲んだ。これでコーヒーを飲もう。いやミルクティにしとこか(笑)。明るいうちに下山を目標にしていたため、急ぐように下山をしたのは言うまでもない。ヘロヘロになりながら、なんとか目標クリアー。


【まとめ】

稜線にあがるまでながくそれだけ大きな山を越えないと頂上へは行けない印象がありました行者岩を越えたあたりからわずかながら霜柱が見られたこと、立ち止まると寒く思われたこと、寒さで指先にしびれを感じたことからこの時期から防寒対策が求められました。

聖職の碑を越えてから一時、急登を強いられましたが、全体としては特別難しい個所もなく登頂することができました。風がなかったことも幸いであり、登りやすさを実感させたかもしれません。午前中青空が広がっていたもの午後からのガス発生に見舞われ、頂上からの遠望は望められませんでしたが雲海から南アの一部を見ることが出来ました。

日没時間を考えながらの行動が求められるシーズンではありますが、無事山頂へ行けられたこと。明るいうちに戻ることが出来きました。とてもありがたいことです。久々に日帰り(ピストン)の歩きごたえ及び登り応えを実感した山行であり、充実できるルートであるとも思います。

  • 木曽駒ケ岳写真
  • 【余談】

    聖職の碑を眼にし、その当時いったい何が起きたのかが知りたくなりました。じつは山行直前に 新田次郎著 聖職の碑 という本があることを知り山行後図書館でこの本を探し眼を通しました。

    石碑に彫られた内容の如く、大正2年8月26日修学旅行として山行に臨んだ中箕輪尋常高等小学校児童と校長が思いもよらない天候変化によって翌27日に命を落とすまでの状況が記されたノンフィクション作品でしたが事故発生下における人々のこころのうごきを垣間見た気にもなり、あなたならどうする?と問われた気分にもなったのでした。

    この山岳事故がおきて間もなく100年目となりますが、山行に際する自らの姿勢をいまいちど問いただすことが犠牲になられた児童ら及び校長の魂の冥福となるとも感じるのでした。

【反省と課題】

防寒準備を行い、山行に臨んだためさほど困ることはありませんでしたが、カイロを準備しておくことも悪くはないことに気づきました。動けば暑く、止まれば寒く身体が冷えてくるこの時期における衣類調整が以外にも難しく思われました。身体を冷やさない対策...汗をかいたらすぐ着替える!がいちばんですね。
(おわり)


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