毎年のことなのだが、8月は山はほとんど登らず、9月にガッツリ登る。昨年は黒部五郎岳に向かうも途中でパンクして引き返し。その一週間後に再度トライして五郎のカールを山頂から見下ろした。ちょっと状況は異なるけど、今年の笠ヶ岳も最初は引き返し、その一週間後に登った。同じなのは日帰り。
でもって中休みといきたいところだけど、飛び石連休の真ん中で残っていた夏休みを入れることができたので、久々越前こと福井県の山に登ることにする。目指すは荒島岳・・・じゃなくて、経ヶ岳。
経ヶ岳は木村さんが登りたがっていた景色のいい山だ。荒島岳からは谷を挟んで北側に位置する、かつては火山(とはいっても約140万~70万年前だけど)だった山。ここへは複数のルートがあるけど、やはりこの時期ガッツリ登りたい。
暗いうちに自宅を出発し、六呂師高原の奥越高原青少年の家から保月山、杓子岳、中岳を縦走して経ヶ岳に向かう。水平距離で約5.2km。途中でアップダウンありで結構歩き甲斐がありそうだ。
六呂師高原から青少年の家への道をどんどん登っていくと、途中でチェーンが掛けられている。どうも昨日が休館日らしく、この先の駐車場で花火をする輩が入ってこないようにしているそうな。地元人だろうか? 途中で上から軽トラが走ってきてチェーンを外して去っていった。どう考えてもこの時間に職員がチェーンを外すためにだけ来ることはないと思い、車は路肩に停めてここから登っていく。
青少年の家はちょっと歩いたすぐ先だ。公衆電話ボックスがあると思ったら、電話機は無く、登山届のポストが置いてある。当然登山届を記入して提出。この先道なりに進めばよかったのだが、こっちでよかったのかな? と、ちょっと疑心暗鬼になって青少年の家まで戻ってしまった。
空には上弦の月。今日は晴れのようだ。
時刻は日の出の刻。路肩にインプレッサを停めて出発。
ちょうど横には自然保護センターのプラネタリウム。
変な輩が侵入しないように休館日はチェーンで進入禁止。
ちょっとだけ歩くと奥越高原青少年の家の入口。
電話ボックスではなく、登山届ボックス。ここで登山届を書く。
ここをまっすぐ行けば登山口は左手。しかし何を思ったのか引き返してしまった。
一旦青少年の家に戻る。ふと校舎の裏に踏み跡が続いているのを発見。ここを進んでいくと視界が開けた。正に光景は夏のスキー場。木の階段が山の上に続いている。なるほど、ここを登っていけばいいのか。左手にはリフトの支柱とワイヤーが見えている。
どうやら道はスキー場を横切るようだ。見下ろすと日の出直後の大野市の街並み、そして左側には登山を始めた年に木村さんと登った荒島岳だ。あんな形していたんだね。
辺りはススキに囲まれていい雰囲気だ。しかし、この後ちょっとしたプチパニックになってしまう・・・。
校舎の裏を通らせてもらうと・・・。
おお、スキー場に出たぞ。
丸太の階段が延々と続く。
今日も長丁場。ゆっくりといこう。
スキー場の証。リフトの支柱とワイヤーだ。
ススキで一杯のスキー場から荒島岳を望む。今日目指す経ヶ岳はあちらより100mほど標高が高い。
道なりに進んでいくが、ちょっと方向的におかしい。道もスキー場(牧場)のロッジの方向に下っていく。ここで新兵器ガーミンを取り出し一を確認する。しかし・・・。
ここら辺りにルートがあるはずだが。辺りを見渡しても草むらで踏み跡すら見当たらない。何度も行ったり来たりするがどこも同じだ。こりゃ、ダメかな・・・と思ったとき、先ほど通り過ぎていったリフトの支柱横の踏み跡に入ってる。すると、ほとんど朽ち果てているリフトの終点が現れた。そしてその横にはルートらしきはっきりとした踏み跡だ。方向的にもこちらでいい。
結局自分がガーミンに保存したルートがいい加減だったことが分かったのは自宅に帰ってから。いくら便利なツールでも使い方がずさんならダメだね。反省・・・。
自分にはITツールは向いていないのかもね。
どんどん進むが・・・あれ? ちょっとおかしい。
このままいくと下っちゃうよ。ミスコースだ。
すったもんだで何とかルートを見つける。錆びついて今にも朽ち果てそうなリフトの終点。ここを過ぎると山に登っていくルートが現れた。
よし、これなら大丈夫。一瞬だけど焦ったよ。
ここも丸太の階段状。でもさほど急ではないね。
ようやく木々の間から日が差してきた。木々を抜けると眼下には先ほどよりもスキー場を感じさせる光景が飛び込んでくる。頭上には最後のリフトの終点だ。朝日に照らされる大野市の街並み。街も徐々に目が覚めてくるよう。
しかしいい斜面だ。冬はさぞかしスキーやスノーボードを楽しむ人で賑わったことだろう。
お日様が見えてきた。気温もぐんぐん上がってくるぞ。
かなり高度が上がった。リフトに沿って登っていく。
木々が無くなり見通しが良くなった。まだ登るのかな?