木村さんの【俺山】も多くの方々にご覧いただき、木村さんへの応援、激励のメールをたくさん頂いています。

すっかり寒くなった12月の初旬、一通のメールが来ました。何と歴史書籍の編集をしている会社から、「戦国時代にまつわる書籍を制作しておりますが、ホームページの写真を掲載させてくれませんか?」という思いがけない内容でした。更には掲載料の支払いと巻末クレジットの掲載もしていただけるとのこと。

おーっと! 俺山もとうとう書籍デビューか! その前に木村さんに相談。すべての写真は木村さんと私の所有物なので、木村さんの許可無しでは提供できません。依頼のあった写真は焼岳の「秀綱神社」です。

木村さんから快諾の返事があり、編集社に写真の元データを送りました。これらの写真は特にお金儲けを目的で撮ったのではないので、掲載料は辞退させていただきましたが、巻末クレジットの掲載はお願いしておきました。

しかし歴史書籍とは! 恐らく教育書籍か、はたまた今流行の「歴女」雑誌か、掲載された本は手に入るのかな?


  • 年明け、鑓ガ先の雪の中から自宅に帰ると、ポストに一回り大きな郵便物が届いてました。発送元は双葉社。お、これは早速送っていただけたかな? とワクワクしながら開けた袋の中に入っていた本がコレ←

    「せ・戦国残酷物語???」 表紙には刀を持ったままうずくまっている血まみれの落ち武者の絵が。さらに書かれている言葉が・・・

    「負ければ待っているのは生き地獄 身の毛もよだつ戦国の戦場」

    「目玉をくり抜き 顔の皮を剥いで 頭蓋骨を杯にした織田信長」

そしてぱらぱらと頁をめくって見つけたのがこれ。「呪いの章 女子供も身ぐるみ剥がれ 落ち武者狩りの怨念を鎮める祠」

ここに秀綱神社の写真が使われていました。本文を読んでみると、飛騨を支配していた姉小路氏が豊臣秀吉の侵攻に遭い、当主の姉小路秀綱は一行とともに信濃方面へ逃走することになりましたが、落ち武者狩りの農民達によって殺害されたそうです。その後、秀綱一行を襲った農民が次々に狂死する事件が起き、村人達が秀綱を殺害した場所に祠を建てて祀り、霊を鎮めようとしたのが現在の秀綱神社とのことです。

いやー 思ったところでこんな歴史に遭遇するとは・・・

  • で、写真の掲載箇所はわかったけど、巻末クレジットは?

    最後の方の頁をめくってみると・・・ あった!

    要望どおり。【写真・資料協力】の巻末クレジットには「木村さんの【俺山】木村隊とその仲間たち」が載っていました。

    ある意味、野望の第一歩・・・か?

    で、歴女はどうなった?

  • ちなみに掲載された本は以下のとおりです。

    「戦国残酷物語」 株式会社双葉社

    ISBN978-4-575-30281-3


  
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